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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)1797号 判決 1971年8月30日

原告

甲野太郎(仮名)

ほか一名

被告

金星タクシー株式会社

主文

一、原告甲野太郎の本訴を却下する。

二、原告甲野花子の本訴請求を棄却する。

三、訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一双方の申立

(原告ら)

被告は原告両名に対しそれぞれ金一五〇万円とこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うこと、

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(被告)

本案前の申立

原告甲野太郎の本訴を却下する

訴訟費用は原告甲野太郎の負担とする

との判決

本案の申立

原告らの請求を棄却する

訴訟費用は原告らの負担とする

との判決

第二原告の請求原因

一、傷害交通事故の発生

とき 昭和四一年四月一一日午後一〇時ごろ

ところ 大阪市天王寺区上本町六丁目一番地先路上

事故車 普通乗用自動車

運転者 訴外東嵩

被害者 原告甲野太郎(仮名)(当時二九才)

態様 南進して来て右折しようとした事故車と北進して来た原告甲野太郎運転の自動車が交差点内で衝突した。

傷害 陰茎勃起不能

二、帰責事由

根拠 自賠法三条

事由 被告は事故車を所有し、これを自己の営むタクシー業務のために使用していた。

三、損害

原告甲野太郎は本件事故により頸部交感神経失調症にもとづく陰茎勃起不能の後遺症を来し、生涯にこれに苦しむこととなり、原告ら夫婦の間には未だに子がないところ、将来子をもうけることができなくなつた。これによる原告らの精神的苦痛を慰藉するものとしては各金一五〇万円が相当である。

四、本訴請求

よつて原告らは被告に対し各金一五〇万円とこれに対する本訴状送達の日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員の支払いを求める。

第三被告の本案前の抗弁ならびに答弁

(本案前の抗弁)

原告甲野太郎は昭和四二年七月三日被告に対し原告ら主張にかかる本件交通事故に基づく損害賠償請求の訴を提起し(大阪地方裁判所昭和四二年(ワ)第三五二一号)、右事件の判決が昭和四三年一〇月三日言渡され、現在大阪高等裁判所へ(同庁昭和四三年(ネ)第一六九七号事件)係属中である。

しかして、同原告の右請求の中には本件交通事故による傷害、後遺症等による慰藉料請求も含まれている。

よつて、同原告の本訴請求は民事訴訟法二三一条に違反するものとして、却下さるべきである。

(本案の答弁)

一、請求原因一の事実中、傷害の点を除きその余は認める。

二、同二の事実は認める。

三、同三の事実中、慰藉料算定の事由としてその主張および損額額を争う。

仮りに原告甲野太郎にその主張の如き後遺症が存したとしても、原告甲野花子については、夫の生命侵害にも比肩すべき場合に当らないから本訴請求は失当である。

第四本案前の抗弁に対する原告らの答弁

原告甲野太郎は被告主張のとおり別訴を提起し、これが現に大阪高等裁判所へ係属中であることは認める。しかして、同事件において同原告が請求している損害は、<1>治療費、<2>附添看護料、<3>逸失利益、<4>慰藉料(頸部挫傷、頸椎捻挫という傷害およびこれに基づく後遺症により労働能力を喪失したことならびに同原告の妻花子が流産したことによる精神的苦痛)である。

本訴における原告甲野太郎の請求している慰藉料は、前叙のとおり同原告の陰茎勃起不能による精神的苦痛である。

最高裁判所判決昭和四三年四月一一日言渡(同一不法行為に基づく同一人に対する慰藉料につき、傷害によるものと死亡によるものとは訴訟物が別個であるとする)、同判決昭和四二年七月一八日言渡(一個の債権の一部についてのみ判決を求める旨を明示して訴が提起された場合には訴訟物は右債権の一部の存否のみであつて全部の存否ではなく、従つて右一部の請求についての確定判決の既判力は残部の請求に及ばないとする)に徴し、本訴における訴訟物は右既に係属中の事件とは訴訟物を異にするものであるから、被告の本案前の抗弁は理由がない。

第五証拠関係〔略〕

理由

一、本案前の抗弁について

職権により調査するに、原告主張にかかる本件交通事故(但し傷害の点を除く)に基づき双方主張のとおりの事件が現に大阪高等裁判所へ係属中であることが明らかであるところ、不法行為(傷害)による慰藉料請求権を理由づける個々の事実は、その各々が独立の訴訟物となるものではないから、本訴請求が民事訴訟法二三一条に違反することは明らかである。原告甲野太郎の所論は、本件とその事情を異にするものであり採用の限りでない。

よつて、同原告の本訴請求は訴の要件を欠くものであるから、不適法として却下を免れず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

二、原告甲野花子の本訴請求について、

請求原因一の事実中、傷害の点を除くその余の部分、同二の事実は当事者間に争いがない。

〔証拠略〕を総合すると、

<1>本件事故により原告太郎が頸部損傷により大阪市西区、大野病院へ昭和四一年四月から昭和四三年四月ごろまで入院し、その後同病院に通院するようになつたころ、同院医師藤下武志(整形外科医)において、原告太郎の妻で同院において看護婦として勤務していた原告花子から、原告太郎が陰茎の勃起不能であることを訴えられ、原告太郎に質したところ同様の返答であつたので従前他に受傷後二、三カ月目に同様症状を訴えた右患者をてがけ、二、三カ月後に回復した症例を経験していたところから、内服薬、注射等による同様治療を施したが、原告花子の回答では効果がなかつた由であつたため、昭和四四年三月二六日頸部交感神経すなわち自律神経の失調によるものであろうとの一応の推断を下したこと、<2>しかしながら、かかる勃起不能については、医学的には神経障害(大脳皮質から末梢神経に至る勃起に関与する全伝達径路)によるものとは考え難く、その多くは性的精神、神経症といわれる精神不安定状態による心因性のものであるとされること、<3>つまり、それは器質的疾患ではなく、当人をとりまく諸条件の中で当人が精神的に不安定な状態になり、これがため、機能的に不能状態に陥り、右不安定状態の消除と共に機能も回復するものであること、

が認められる。

〔証拠略〕によれば、両名は昭和三七年ごろ婚姻共同生活に入つたが、昭和四〇年六月妻たる原告花子が母体の不正常から流産し、本件事故後も妊娠六カ月余りで同様流産し、未だに子がなく、その後母体の改善措置をとつていないところから、今後も流産する可能性が強く、原告太郎においても、右事故後の二度目の流産にかなりの精神的打撃を受け(別訴において、慰藉料算定の根拠としている)、事故後、賠償問題が訴訟事件に発展し、今もつて解決しないまま第二審に係属中であり、その帰趨に多大の関心と不安感をいだかざるを得ない心理状態にあり、また、本件事故による受傷で頭痛がとれず、精神的にも精交意欲に乏しい状態にあることが認められる。

されば、原告太郎の示している勃起不能状態は、本件事故により生じた器質的疾患であるとは認め難く、同原告のおかれている精神的不安定な状態がもたらす性的精神神経症に過ぎず、これを作出している諸要素の除去によつて漸次回復し得るものと考えられ、右諸要素の中に受傷部位の疼痛による性交意欲の障害が考えられるとしても、それのみが勃起不能の原因でないことも明らかであり、その他の諸要素の除去、改善による精神的安定の回復こそ肝要であると考えられる。

婚姻間もなくして夫が事故のため陰茎の大部分を欠損するが如き傷害を受け、妻との性生活が不能となり、夫婦間に子が出来ない状態になつた場合、その妻の精神的肉体的苦痛は、夫の死亡したときにも比肩しうべきものと評価することもできるけれども、本件における原告太郎の症状および同花子の苦痛は、その程度に至つていないものといわざるを得ない。

よつて、原告花子の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村行雄)

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